大浮世絵展 2019-2020 美人画の歌麿、役者絵の写楽、冨嶽の北斎、五拾三次の広重、武者絵・戯画の国芳! 見どころはどこ?

大浮世絵展の概要

「大浮世絵展」は今回で2回目です。前回は2014年に、江戸東京博物館、名古屋市博物館、山口県立美術館の3館で、内外45か所から340点の作品を集め展示されました。

「世界から傑作、大集合!」をキャッチフレーズに、浮世絵前夜から幕末以降まで全体像を俯瞰できる教科書的な展覧会でした。


2014年、「大浮世絵展」名古屋市博物館の告知

今回は人気絵師、喜多川歌麿東洲斎写楽葛飾北斎歌川広重歌川国芳の5人に限りました。

メトロポリタン美術館、ボストン美術館、シカゴ美術館、ミネアポリス美術館、大英博物館、ギメ東洋美術館、ベルギー王立美術歴史博物館をはじめ、国内所在を含め約260点を集めました。

歌麿は美人画、写楽は役者絵、北斎と広重は風景画と花鳥画、国芳は武者絵と戯画と、それぞれの絵師のありようをつぶさに観賞することができます。

大浮世絵展の見どころはここ

喜多川歌麿

美人画で知られる喜多川歌麿(きたがわうたまろ、1753? – 1806)は、狩野派の町絵師鳥山石燕(とりやませきえん、1712-1788)に師事しました。

燕は妖怪画を多く描いたことで知られています。


鳥山石燕『画図百鬼夜行』の内、一図「河童」1776年 ※展示はありません

10代から北川豊章(きたがわとよあき)の雅号で、絵入版本や細判(ほそばん、約33cm×15~16cm)の役者絵なども描いています。

1782年頃、雅号を歌麿と改め、版元蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう、1750-1797)の援助を得て積極的な活動を始め、実力を発揮します。

1788年から蔦屋を版元として、狂歌に浮世絵を合わせた絵入狂歌本『百千鳥(ももちどり)』、『画本虫撰(えほんむしえらみ)』、『汐干(しおひ)のつと』など豪華な色摺り本を著しました。


喜多川歌麿『画本虫撰』1788年 ※展示はありません

これらは狂歌人気にも後押しされ、歌磨の出世作となります。

1790年頃から描き始めた「婦人相学十躰(ふじんそうがくじったい)」「婦女人相十品(ふじょにんそうじっぽん)」「歌撰恋之部(かせんこいのぶ)」などの美人大首絵(おおくびえ)で特に人気を博します。

歌麿は背景を描かず白雲母(しろうんも)を散りばめ、それまで全身が描かれていた美人画の体を省き、顔を中心とする構図を考案しました。

これにより、美人画の人物の表情だけでなく、内面や艶も詳細に描くことができるようになりました。

遊女、花魁、茶屋の娘と、無名の女性ばかりを作品の対象とします。

1804年、豊臣秀吉の醍醐の花見を題材にした浮世絵「太閤五妻洛東遊観之図(たいこうごさいらくとうゆうかんのず)」を描いたことで幕府を揶揄したと罰せられました。


喜多川歌麿『太閤五妻洛東遊観之図』1804年 ※展示はありません

刑の後、歌麿はやつれ病気になったとされますが、絵の依頼は裏腹に殺到します。そして、2年後の1806年に死去しました。

婦人相学十躰 浮気之相

喜多川歌麿 1792-93年頃

喜多川歌麿の早い時期の美人大首絵シリーズです。背景を雲母摺(きらずり)とにした豪華版で、蔦屋重三郎から刊行されました。

浮気という言葉は、浮わついて落ち着きのない状態のことも指します。湯上りの身支度が整わず、心が浮わつく様子を描いたものでしょうか。

婦女人相十品 ポペンを吹く女

喜多川歌麿 1792-93年頃

ポペンは薄いガラスの玩具です。息を出し入れするとポペンと音が出ることにより、名付けられました。

江戸時代中期以降、ガラスの普及が進んだこともあり、ビードロ細工の簪(かんざし)などガラスの小物を多く描いた作品です。

当時三美人

喜多川歌麿 1793年頃

白雲母摺(しろきらずり)を背景に、寛政の三美人を大首絵で描きました。

中央上が富本節(とみもとぶし、浄瑠璃の一種)の芸者の富本豊雛(とよひな)で、着物の桜草の紋は富本節の定紋(じょうもん)です。

画面右下は、絣(かすり)の着物に桐紋の入った団扇を持つ、難波屋(なにわや)おきたです。左は手拭いを肩にかけた高島おひさで、いずれも江戸の水茶屋の評判娘でした。

東洲斎写楽

東洲斎写楽(とうしゅうさしゃらく、生没年不詳)は、約10か月の短い期間に役者絵などを描いたのち、突然姿を消した謎の浮世絵師です。

版画作品は総計142枚が現存しており、いずれも蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)を版元としています。

それらの作画期は、取材狂言の上演時期に応じて、次のような4期に区分されます。

第1期 1794(寛政6)年5月 計28枚 
江戸三座(中村座、市村座、森田座)の芝居に取材した、すべて大判(約38cm × 26cm)の黒雲母摺(きらずり)による役者大首絵。

第2期 1794(寛政6)年7~8月 計38枚
秋狂言に取材した、8枚の大判の雲母摺と30枚の細判全身像の役者絵。


東洲斎写楽 3代目市川高麗蔵の亀屋忠兵衛と初代中山富三郎の新町のけいせい梅川 1794年8月

第3期 1794(寛政6)年11月~閏(うるう)11月 計64枚
江戸三座の顔見世狂言に取材した、細判全身像役者絵47枚、間判(あいばん、約21cm×15cm)役者大首絵11枚、間判役者追善絵(ついぜんえ)2枚、間判相撲絵1枚、大判相撲絵3枚(三枚続)。


東洲斎写楽 とら屋虎丸(2代目嵐龍蔵の奴なみ平) 1794年閏11月

第4期 1795(寛政7)年正月 計12枚
初春狂言を中心に取材した、細判全身像役者絵10枚、間判相撲絵2枚。


東洲斎写楽 6代目市川団十郎の曾我五郎 1795年1月 ※展示はありません

写楽に対して、狂歌師・戯作者(げさくしゃ)大田南畝(おおたなんぽ、1749 – 1823)は『浮世絵類考』で次のように記しています。

「あまりに真を画かんとして、あらぬさまにかきしかば、長く世におこなわれず、一両年にして止む」。

写楽は役者の「真」を描こうとして「あらぬさま」に描いたので、1、2年で消えてしまったとしました。

写楽の出自や経歴について現在では、阿波徳島藩主蜂須賀家お抱えの能役者斎藤十郎兵衛(さいとうじゅうろべえ、1763 – 1820)とする説が有力です。

市川鰕蔵の竹村定之進

(いちかわえびぞうのたけむらさだのしん)
東洲斎写楽 1794年5月

「恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたずな)」に取材した作品です。

竹村定之進は丹波国由留木(ゆるぎ)家の能役者で、重の井(しげのい)の父です。与作と密通した娘の許しを乞うために、当主の前で切腹します。


東洲斎写楽 4代目岩井半四郎の重の井 1794年5月


東洲斎写楽 2代目市川門之助の伊達の与作 1794年5月

3代目大谷鬼次の江戸兵衛

(さんだいめおおたにおにじのえどべえ)
東洲斎写楽 1794年5月

江戸兵衛は悪人の頭で、鷲塚八平次に加担し、奴一平(やっこいっぺい)から金子(きんす)三百両を奪います。

月代(さやかき)を伸ばした浪人姿の江戸兵衛は、懐から両手を突き出して一平に襲いかかろうとしています。


東洲斎写楽 谷村虎蔵の鷲塚八平次 1794年5月

奴一平は主人である伊達の与作から金子三百両を預かりますが、江戸兵衛たちに奪われてしまいます。

この絵は江戸兵衛と向き合った一平が、刀を抜いて切りかかろうとするところです。

江戸兵衛が右を向き、一平は左を向いて、対峙するように作られたと考えられます。


東洲斎写楽 初代市川男女蔵の奴一平(しょだいいちかわおめぞうのやっこいっぺい)1794年5月

2代目沢村淀五郎の川連法眼と初代坂東善次の鬼佐渡坊

(にだいめさわむらまとごろうのかわつらほうげんとしょだいばんとうぜんじのおにさとぼう)
東洲斎写楽 1794年5月

「恋女房染分手綱」の切狂言として行なわれた「義経千本桜」四段目に取材しました。

向かって右側の川連法眼(かわつらほうげん)は、吉野山の衆徒頭(しゅうとがしら)を務める僧ですが、義経をかくまっていました。そのことを隠し、法師たちの本心を探ります。

また、左側に描かれた鬼佐渡坊は義経を狙う悪僧です。

葛飾北斎

葛飾北斎(かつしかほくさい、1760‐1849)は、「神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)」や「凱風快晴(がいふうかいせい)」で知られています。凱風とは初夏のそよ風をいいます。

1999年には、米ライフ誌が選んだ「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」で、日本人として唯一86位に選ばれました。

北斎は、江戸本所割下水(ほんじょわりげすい、現在の東京都墨田区亀沢)の川村家に生まれました。幼名を時太郎、のち鉄蔵と改めます。

4、5歳の頃に、幕府御用鏡磨師(かがみとぎし)の中島伊勢の養子となりましたが、のち実子に家督を譲ります。 その後貸本屋の丁稚、木版彫刻師の従弟(とてい)となります。

19歳で当時の役者絵の第一人者勝川春章(かつかわしゅんそう)に入門し、雅号を勝川春朗(しゅんろう)と称します。

翌1779年に 役者絵「瀬川菊之丞 正宗娘( せがわきくのじょう まさむねむすめ)おれん」でデビューします。


葛飾北斎「瀬川菊之丞 正宗娘おれん」1779年 ※展示はありません

北斎とはいっときの雅号で、春朗、宗理(そうり)、北斎、戴斗(たいと)、為一(いいつ)、卍(まんじ)のほか画狂人など30以上の改号をしました。

1794年には勝川派を離れ、奥絵師狩野融川(かのうゆうせん)、町絵師3代目堤等琳(つつみとうりん)、大和絵の流れをくむ絵師住吉廣行(すみよしひろゆき)らに学んだと伝えられています。

北斎の名が広く知られるようになるのは40代後半です。1804年から1813年にかけて読本(よみほん)挿絵の分野で活躍します。

特に、曲亭馬琴(きょくていばきん)とのコンビによって出版された『新編水滸画伝(しんぺんすいこがでん)』『椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)』、また戯作者柳亭種彦(りゅうていたねひこ)とによる『近世怪談霜夜星(しもよのほし)』などは著名です。


葛飾北斎『椿説弓張月』前編第1巻より「源為朝」 1807年 ※展示はありません

1814年より、読本挿絵は減少し絵手本(えでほん)に専念し始めます。

「ホクサイスケッチ」の名で世界的に有名な『北斎漫画』は、名古屋の版元永楽屋東四郎(えいらくやとうしろう、永楽堂)から初編が発行されます。

北斎の没後も、1878(明治11)年までに全十五編が発行されました。


葛飾北斎『北斎漫画』 1814年 ※展示はありません

70代の数年間は代表的な錦絵の揃物(そろいもの)を相次いで発表します。

1818~1844年にかけて、「冨嶽三十六景(ふがくさんじゅうろくけい)」(全46枚)、「諸国滝廻り(しょこくたきめぐり)」(全8枚)、「諸国名橋奇覧(しょこくめいきょうきらん)」(全11枚)などのシリーズが、同じ版元西村屋与八(にしむらやよはち、永寿堂)より集中的に出版されています。


葛飾北斎「諸国名橋奇覧 飛越の堺つりはし」 1833年 

最晩年は『富岳百景』(初編は1834年刊)などの絵本、絵手本類と肉筆画の制作が中心となりました。 


葛飾北斎『富岳百景』二編9丁より「海上の不二」  1835年 ※展示はありません

北斎は90歳で臨終を迎えます。

明治の浮世絵研究者飯島虚心(いいじまきょしん)の『葛飾北斎伝』には、その時の様子を「翁死に臨み、大息し天我をして十年の命を長ふせしめバ…天我をして五年の命を保たしめバ、真正の画工となるを得べしと、言吃りて死す」と記しています。

冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏

(ふがくさんじゅうろっけい かながわおきなみうら)
葛飾北斎 1831~33年頃

冨嶽三十六景 凱風快晴

(ふがくさんじゅうろっけい がいふうかいせい)
葛飾北斎 1830~33年頃

諸国瀧廻り 木曽路ノ奥阿弥陀ヶ瀧

(しょこくたきめぐり きそじのおくあみだがたき)
葛飾北斎 1833年頃

現在の岐阜県郡上市にある、阿弥陀ヶ滝を描きました。

近くの洞窟で修行をしていた修験者の眼前に、阿弥陀仏が姿を現わしたという言い伝えから、名付けられました。

岩を浸蝕してできた円形の滝口には、この視点からは見えないはずの上流の水面が描かれています。キュビズムを思わせる、不可思議な画面構成です。

歌川広重

歌川広重(うたがわひろしげ、1797- 1858)は、保永堂版『東海道五拾三次』をはじめとする、風景画を多く描きました。

フィンセント・ファン・ゴッホやクロード・モネら西洋の画家に、影響をあたえたことでも知られています。


フィンセント・ファン・ゴッホ『ジャポネズリー:梅の開花(広重を模して) 1887年  ※展示はありません 

江戸八代洲河岸定火消同心(やよすがしじょうびけしどうしん )安藤源右衛門(げんえもん)の長男として生まれた。

幼名を徳太郎、俗称を重右衛門、のち徳兵衛といい、後年には鉄蔵と改めます。

13歳のときに相次いで両親を失い、火消同心の職を継ぐことになりました。

1811年に初代歌川豊国(1769-1825)に入門を願いましたが、すでに門人満員のため叶わず、同門の歌川豊広(1744-1830)に師事しました。

翌年には豊広から歌川広重の号を許されています。

1818年に版行された錦絵『中村芝翫(しかん)の平清盛と中村大吉の八条局(はちじょうのつぼね)』『中村芝翫の茶筌売(ちゃせんうり)と坂東三津五郎の夜そば売』がデビュー作とされています。


歌川広重『中村芝翫の平清盛と中村大吉の八条局』 1818年  ※展示はありません 

1831年には、初期の風景画の名作として知られる『東都名所』(全10枚)を発表しました。


歌川広重『東都名所 東都上野花見之図 1831年  ※展示はありません 

そして、1833年から翌年にかけて東海道の宿場風景を描いた保永堂版『東海道五拾三次』(全55枚)を版行しました。これにより広重は、一躍風景画家としての地位を確立します。

1830~1844年にかけてが、広重の芸術的絶頂期と考えられています。

『近江八景(おうみはっけい)』(全8枚)『江戸近郊八景』(全8枚)『木曽海道六拾九次(きそかいどうろくじゅうきゅうつぎ)』(全70枚、渓斎英(けいさいえいせん)と共著)などのシリーズを次々に発表しました。

晩年に至っても1856年から没年まで版行され続けた『名所江戸百景』(全118枚)や、1853年から1856年にかけて制作された「六十余州名所図会」(全70枚)など、点数の多い風景画揃物を出しました。

東海道五拾三次之内 蒲原 夜の雪

(とうかいどうごじゅさんつぎのうち かんばら よるのつき)
歌川広重 1833年〜1835年頃頃

画面上部に墨で一文字ぼかし(いちもんじぼかし)を入れ、空を明るくしたものが初摺とされます。これとは別に空の下方からぼかした作品もあり、後摺とされます。こちらのほうが広く普及しました。

一文字ぼかしは、空を表現することが多いので、天ぼかしともいいます。作品に奥行きや抑揚をあたえるほか、色で季節、時間、天候などを表現します。

墨は冬、雪、雨、夜を。藍は晴天、昼間を。朱は秋、朝焼け、夕方を表します。

江戸から数えて15番目の宿蒲原(現在の静岡市清水区)は、温暖でめったに雪の降らない地域です。広重は宿場を描くより、雪の夜の静寂を表現することを優先したのかも知れません。

東海道五拾三次之内 庄野 白雨

(とうかいどうごじゅさんつぎのうち しょうの はくう)
歌川広重 1833年〜1835年頃頃

庄野宿は、現在の三重県鈴鹿市にありました。白雨とは、明るい空から降る雨、夕立やにわか雨のことです。

農夫の傘には「竹のうち」「五十三次」の文字が記されています。竹のうちとは、竹内眉山(たけのうち びざん、1781- 1854)で、竹内孫八の名で地本錦絵問屋(じほんにしきえどんや)の保永堂を営んでいました。

名所江戸百景 大はしあたけの夕立

(めいしょえどひゃっけい おおはしあたけのゆうだち)
歌川広重 1857年

広重の代表作ともいえる作品です。「亀戸梅屋敷(かめいどうめやしき)」と同じく、ファン・ゴッホが油彩で模写したことで知られています。

隅田川に架かる新大橋(現在の東京都中央区)で、作品名の「あたけ(安宅)』とは、対岸にあった御船蔵(おふなぐら)周辺の通称です。

歌川豊国

歌川 国芳(うたがわくによし、1798-1861 )は、3枚続きの大画面で描いた武者絵や歴史画、また人の身体で作った顔、動物を擬人化した戯画などで知られています。

国芳は江戸日本橋本銀町一丁目に生まれました。父は京紺屋(染物屋)を営む柳屋吉右衛門(きちえもん)です。

幼名は井草芳三郎(いぐさよしざぶろう)のち孫三郎(まござぶろう)と称しました。

12歳のとき描いた「鍾馗提剣図」が初代歌川豊国(1769 – 1825)に認められ、1811年に15歳で入門したと伝えられています。兄弟子に歌川国貞(1786 – 1864)がありました。

1814年頃に刊行された合巻(ごうかん、絵入り娯楽本を3~6冊を1部に綴たもの)、竹塚東子作『御無事忠臣蔵』の表紙と挿絵が国芳の初作とされています。


歌川国芳『御無事忠臣蔵 1814年  ※展示はありません 

その後役者絵を出しますが、師の豊国や兄弟子国貞の人気にはかなわず、不遇の時期が長く続きました。

しかし、豊国没後の1827年頃に版元加賀屋から刊行された、大判揃物『通俗水滸伝豪傑百八人之一個(つうぞくすいこでんごうけつひゃくはちにんのひとり)』という水滸伝のシリーズで一躍脚光を浴びます。

「武者絵の国芳」と称され、人気絵師の仲間入りを果たしました。国貞、広重と共に歌川派の三巨匠のひとりに数えられます。

1842年、国芳45歳のときに、老中水野忠邦が行った天保の改革(1830 – 1843)のため、役者、遊女、芸者などの絵を出版することが禁じられました。そのため戯画(ぎが)と子供絵(子供のための錦絵)が、多くもてはやされるようになります。

1843年には、国芳の描いた「源頼光公館土蜘作妖怪図(みなもとのよりみつこうやかたつちぐもようかいをなすず)」が水野忠邦の行った改革を風刺した絵だと大評判となり、判じ絵が流行しました。


歌川国芳「源頼光公館土蜘作妖怪図」 1842-1843

やがて水野忠邦は失脚し、国芳はワイドスクリーンと評される大判3枚続きの大画面の武者絵を世に送り出します。「宮本武蔵と巨鯨」「讃岐院眷属をして為朝をすくふ図(さぬきのいんけんぞくをしてためともをすくうず)」「相馬の古内裏(そうまのふるだいり)」などが知られています。

1856年頃に中風を患い、細筆を取ることができなくなり、版下絵も弟子の手を借りたものが見られるようになります。

1861年、国芳は玄冶店(げんやだな、現在の中央区日本橋人人形町)の自宅で65歳で没しました。

通俗水滸伝豪傑百八人之壹人浪裡白跳張順

(つうぞくすいこでんごうけつひゃくはちにんのひとり ろうりはくちょうちょうじゅん)
歌川国芳  1828~1829年頃 

浪裡白跳張順は江州(こうしゅう)で魚問屋の親方をしていた人物で、水練の達人です。

張順は単身で西湖(せいこ)の水門をくぐって杭州城(こうしゅうじょう)に忍び込み、湧金門(ゆうきんもん)の水門を破りますが、敵兵の集中攻撃を受け水中で最期を遂げました。

シリーズ中でも傑作のひとつに数えられる作品です。

相馬の古内裏

(そうまのふるだいり)
歌川国芳  1845~1846年

1806年刊行の読本、山東京伝(さんとうきょうでん)作『善知安方忠義伝(うとうやすかたちゅうぎでん)』に取材しました。

平将門(たいらのまさかど)の遺児滝夜刃姫(たきやしゃひめ)は、弟の将軍太郎平良門(よしかど)とともに筑波山の蝦蟇(がま)の精霊肉芝仙(にくしせん)から妖術を授かり、荒れ果てた相馬の古内裏を巣窟として徒党を組み、亡父将門の遺志をついで謀反を企てます。

しかし、源頼信(みなもとのよりのぶ)の家臣大宅太郎光国(おおおやのたろうみつくに)によって陰謀をくじかれ自刃します。

原作では、光国の前で数百の骸骨が戦闘を繰り広げる場面でしたが、国芳はこれを巨大な骸骨に置き換えました。

猫の当字 ふぐ

歌川国芳 1842年頃

猫とふぐで文字を描いたものです。猫たちはみな、赤い首紐(くびひも)をつけており、国芳の署名を囲む「よし」の字を瓢箪型(ひょうたんがた)にした枠も首紐の形にして「よ」の字には鈴がつけられています。

「猫の当字」シリーズは、ほかに「なまづ」「たこ」「うなぎ」「かつを」が知られています。

大浮世絵展の音声ガイドは春風亭一之輔さん

落語家の春風亭一之輔(しゅんぷうてい いちのすけ〕さんが、美術展の音声ガイドに初登場です。5人の絵師それぞれの魅力を、噺家ならではの語りで紹介します。

「私たち噺家は、当時のことを頭の中に思い描いてやらなくてはならないので、浮世絵にもお世話になっています。その世界に、今回関わらせて頂いてありがたいですね。」と語っています。

所要時間 = 約35分
当日貸出価格 = 600円(税込) ※お一人様一台につき。

ナレーション=春風亭一之輔/藤村紀子
※前期・後期の展示替えに伴い、ガイド内容も変わります。

大浮世絵展のインスタ映えスポットはここ

江戸東京博物館です。ロビーにパネルが設置されていました

大浮世絵展の混雑状況はここを見る

混雑状況は、美術館や展覧会のツイッターに掲載されます。
台風による臨時休館や、イベント情報などリアルタイムで分かります。

福岡市美術館

大浮世絵展 名古屋 2020

来場者のツイッターで混雑状況を知ることもできます。
ツイッターのキーワード検索で「大浮世絵展 混雑」とします。

大浮世絵展の限定グッズがかわいすぎる

トートバッグ 
単体:950円(税込) 図録とセット:3,400円(税込)
スライダーポーチ 
金魚づくし/神奈川沖浪裏/神奈川沖浪裏W/凱風快晴W 各660円(税込)
刺しゅうガーゼハンカチ 
婦人相学十躰 面白キ相/月に雁 各\1,100円(税込)
落雁 648円(税込)
きなこくるみ 702円(税込)
アクリルキーホルダー 其まヽ地口猫飼好五十三疋(全55種) 各550円(税込)

大浮世絵展コラボメニューが豪華すぎる

大浮世絵展の図録はここがすごい

タイトル文字の「浮」と「U」の接触部分に文字組みのこだわりが感じられます。

作品のほかはタイトルとノンブル(ページ数)だけで、解説は巻末におかれすっきりとした紙面構成です。

同じタイトルの作品が並んでいるものは、内外の所蔵先による経時変化の様子がわかります。私は、こんなに変わるものかと驚きました。

見開きにすると454mm × 300mm、A3の420mm × 297mmより横幅があり、国芳のワイドスクリーンは言うに及ばず、《神奈川沖浪裏》などの横位置の作品は迫力満点です。

何よりも絵師5人で5冊必要なところを、1冊ですむところも特筆すべき点です。

ソフトカバー/227mm × 300mm/カラー/346ページ

価格=2,600円(税込) 

大浮世絵展のチッケットはいくら?

江戸東京博物館

特別展専用券
一般 1,400円(1,120円)/高校・大学生・専門学校生 1,120円(890円)/中学生(都外)高校生・65歳以上 700円(560円)/小学生中学生(都内)700円(560円)

特別展・常設展共通券
一般 1,600円(1,280円)/高校・大学生・専門学校生 1,280円(1,020円)/中学生(都外)高校生・65歳以上 800円(640円)/小学生中学生(都内)なし

特別展前売券
一般 1,200円/高校・大学生・専門学校生 920円/中学生(都外)高校生・65歳以上 500円/小学生中学生(都内)500円

※( )内は20名以上の団体料金。
※次の場合は特別展観覧料金が無料です。未就学児童。身体障害者手帳・愛の手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳・被爆者健康手帳をお持ちの方と、その付き添いの方(2名まで)。
※小学生と都内在住・在学の中学生は常設展示室観覧料が無料のため共通券はありません。
※2019年11月20日・12月18日、2020年1月15日はシルバーデーにより、65歳以上の方は特別展観覧料が無料です。年齢を証明できるものをご提示ください。当日は混雑が予想されます。
※前売券は、2019年9月13日(金)から11月18日(月)まで販売。11月19日(火)から会期中は当日料金で販売。
※チケット販売所:江戸東京博物館、主要プレイガイド、コンビニ店頭など(特別展・常設展共通券の販売は江戸東京博物館のみ)

福岡市美術館

当日券
一般(18歳以上)1500円高校生(18歳未満)800円小中生500円

前売券・ 団体券・ 満65歳以上
一般(18歳以上)1300円高校生(18歳未満)600円小中生300円

※価格は全て税込 
※団体は20名以上
※身体障害者手帳、精神障害者保健福祉手帳、療育手帳の提示者とその介護者1名および特定疾患医療受給者証、特定医療費(指定難病)受給者証、先天性血液凝固因子障害等医療受給者証、小児慢性特定疾病医療受給者証の提示者は観覧無料
※「一般」には、満18歳以上の高校生、大学生、専修学校生等を含みます。 
※本展の一般観覧券で入場できる「国貞三源氏」展にて春画の展示をいたしますので、観覧券購入の際、身分証のご提示にて年齢を確認させていただく場合がございます。

愛知県美術館

当日券
一般1,400円/高校・大学生1,100円/中学生以下無料

前売券・ 団体券
一般1,200円/高校・大学生900円/中学生以下無料

※団体は20名以上です。前売券は愛知県美術館チケット売場、主要プレイガイドなどで販売しています。
※上記料金で、同時開催のコレクション展もご覧になれます。
※「身体障害者手帳」「精神障害者保健福祉手帳」「療育手帳」のいずれかをお持ちの方、また、その手帳に「1種」または「1級」と記載のある方に付き添われる方は1名まで当日料金が半額となります。美術館チケット売場にて手帳をお示しになり、お買い求めください(付き添いの方はお申し出ください)。
※小・中学生は美術館チケット売場で無料観覧券をお受け取りください。

大浮世絵展の巡回先はここ

江戸東京博物館 11月19日(火)~2020年1月19日(日)

〒130-0015 東京都墨田区横網1-4-1

アクセス
電車
○R総武線 両国駅西口下車 徒歩3分
○都営地下鉄大江戸線 両国駅(江戸東京博物館前) A3・A4出口 徒歩1分

路線バス
○都バス錦27・両28・門33系統、墨田区内循環バス「すみだ百景すみまるくん・すみりんちゃん(南部ルート)」
「都営両国駅前(江戸東京博物館前)」下車、徒歩3分
※「両国」駅とは別の停留所です


○首都高速6号 向島線駒形出口、7号小松川線錦糸町出口より約10分

開館時間
9:30~17:30 (土曜日は9:30~19:30)
※入館は閉館の30分前まで

休館日
毎週月曜日(月曜が祝日または振替休日の場合はその翌日)、年末年始

お問い合わせ
Tel.03-3626-9974(代)
Fax.03-3626-9950(代)
※電話でのお問い合わせは9:00〜17:00(休館日を除く)

福岡市美術館 1月28日(火)~3月22日(日)

〒810-0051 福岡市中央区大濠公園1-6

アクセス
市地下鉄
空港線
○「福岡空港」駅から「大濠公園」駅下車、3・6番出口より徒歩10分
○「博多」駅から「大濠公園」駅下車、3・6番出口より徒歩10分
○「天神」駅から「大濠公園」駅下車、3・6番出口より徒歩10分

七隈線
「天神南」駅から「六本松」駅下車、2番出口より徒歩10分

西鉄バス
「博多」駅から
○博多バスターミナル2のりばから、13系統「福岡市美術館東口」下車、徒歩3分
○博多バスターミナル2のりばから、12系統「赤坂三丁目」下車、徒歩5分
○博多バスターミナル4のりばから、113・114・200・201・202・203・204・208系統「赤坂三丁目」下車、徒歩5分
○博多駅前Aのりばから、6系統「赤坂三丁目」下車、徒歩5分
○博多駅前Aのりばから、6-1系統「福岡城・NHK放送センター入口」下車、徒歩3分

天神から
○天神福ビル前 または 天神協和ビル前から、13・140系統「福岡市美術館東口」下車、徒歩3分
○天神福ビル前 または 天神協和ビル前から、12系統「赤坂三丁目」下車、徒歩5分
○天神コア前から、7・201・204・205・206・208系統「赤坂三丁目」下車、徒歩5分
○天神警固神社・三越前から、6・7・113・114・200・201・202・203・204・205・206・208系統「赤坂三丁目」下車、徒歩5分
○天神警固神社・三越前から、6-1系統「福岡城・NHK放送センター入口」下車、徒歩3分
※福岡市美術館東口、赤坂三丁目ともに快速は停車しません

都市高速
○西公園ランプ (唐津方面行きのみ降車可能)で降車、南方向へ車で5分
○百道ランプ(東西両方向降車可能)で降車、南東方向へ車で10分

開館時間
午前9時30分~午後5時30分
7~10月の金・土曜日は午後8時まで開館
(入館は閉館の30分前まで)

休館日
月曜日
(月曜日が祝日・振替休日の場合は、その後の最初の平日)

お問い合わせ
Tel.092-714-6051(代)
Fax. 092-714-6071

愛知県美術館 新型コロナウイルス感染症拡大防止のため閉幕しました

〒461-8525 名古屋市東区東桜1-13-2

アクセス
地下鉄
○東山線または名城線「栄」駅下車、徒歩3分
(オアシス21から地下連絡通路または2F連絡橋経由)

名古屋鉄道
○瀬戸線「栄町」駅下車、徒歩2分
(オアシス21から地下連絡通路または2F連絡橋経由)

開館時間
10:00~18:00
金曜日は20:00まで(入館は閉館の30分前まで)

休館日
月曜日(祝日にあたる場合はその翌日)
年末年始(12月28日から1月3日まで)
展示替え等による整理期間

お問い合わせ
Tel.052-971-5511(代)